江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第4回「運動会の思い出」 江本昌子公式ホームページ
江本昌子の
著者:江本昌子
第4回 「運動会の思い出」
毎週木曜日更新
(創刊記念 11月初旬まで毎週 月曜日・木曜日更新)
作者へのお便りをお待ちしてます。
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下町の飲み屋街で生まれ育った昌子は、八人兄弟の末っ子。
それも女七人男一人の 女だらけの兄弟である。母は子を産むだけの人生で早くに他界し、父はいろんな商売しては、人にだまされて損ばかりする人生。みかねた長女から、結局飲み屋を始めることになった。
安普請の殺風景な店には、ウイスキーのボトルもな〜んもなく、お客さんが「ビール」と注文すると「前金です」と、さっと手を出す。そのお金で前酒屋へ走るという変な店だった。
それでも、当時は炭鉱景気で町賑わい 表通りに面する我が家は、徐々に客が増え、お酒の使い走りもしなくてよくなった。近くの商店街もよくはやり、子供もあふれていた閉店後の10時以降が家族の団らんなので、それまで子供は外で遊ぶのが当たり前だった。小学校の校長が朝礼後、私たちの分団を集めて説教をする。
「夜おそくまで外で遊んでなくて、家で勉強するように!」
聞く私たちの方は
「何で なんでぇ!?」
と皆、目を丸くして不思議な話をするもんだと見回す。
うちの飲み屋街の筋も 訳ありな方が多くて、娘の結婚式というのに出ないで酔っぱらってるきれいなママがいた。
「おばちゃん、どうして由美姉ちゃんの結婚式行かないのぉ」
と聞くと
「フン!わしが座る母親の席に、違うやつが座っとるんや、くそ」
と、涙ぐんでいる。後からわかってきたけど人情味あふれた、いい町だった。
我が家は兄弟も多いけど、なぜかいろんなとこから人が集まってきていた。夕食になると、いつも二十人くらいが茶碗を持っていて
「あれ誰?」
と聞く暇なく目の前のおかずが消える。小学校二年の時、栄養失調で倒れたときは、さすがに父にラーメン一杯まるごと食べさせてもらえたときは むしょうにうれしかった。
父は大ぽっかな人で、運動会の弁当の時間なんて、まともに早く来たことがない。うちは大人数なので、いつもプラタナスの大きな木の下と決めてきた。周りはおいしそうに、おむすび、玉子焼き、そしてのり巻きのいいにおいが、ぷーんとして、もうおなかがグー
やっと到着すると、ガチャガチャ ゴトッ おひつと茶碗。兄弟多いからおむすび作るのめんどくさいっていったって、あんた茶碗かい!そして食べようとすると 親がこれない夕食のメンバーが ちょこんっと座ってきて、またいつものように大人数で食べるのである。
運動会には、もうひとつ思い出がある。
女ばかりの兄弟となると」もうブルマーが足りない。六女は黒の毛糸のパンツ、七女の私は、白の木綿のパンツに墨を塗った代用品
昼からのにわか雨でわたしの腿は真っ黒。二階の校舎から一人、運動会を見おろした時は さすがに貧乏をうらんだ。でも夜中じゅう パンツに墨をぬってた父の気持ちを考えたら文句なんて言えなかった。
腿をきれいに拭いて帰宅しても、父は新聞ばかり読んで、目を合わそうとしなかった。
「父ちゃん、一等賞やったよ、あー楽しかった」
明るくはずむ声で言った。
「そうか」
父はボソッといった。