江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第16回「父ちゃん」 江本昌子公式ホームページ

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著者:江本昌子

第16回「父ちゃん」

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人間味溢れる思い出話
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 父は私が中学一年の時、昭和41年に他界した。最初の脳溢血で半身不随になり二年ほど寝たきりの状態が続き、二度目の脳溢血をおこし先に亡くなった母を追いかけるように天上の人となった。

父は湯豆腐が大好きだった。利き腕でない左手を器用に動かし食べやすかったのもあるが二日に一度はこれである。
出汁は北海道産のラオスでないといけないとか、もう少し煮てから持って来いとか身体が動かない分、口でやかましかった。
いつも姉たちが看病していたが、みんな出かけて今日はわたし一人が面倒見ることになった。
下の世話をして、ついでに身体を拭き、さあ、湯豆腐だ。「父ちゃん、昆布どれくらい切るの?」目の前に持っていって大きさを聞き、出汁がしみこんだ愛用の土鍋でぐつぐつ煮る。「できたよ〜」さて、どうやって父を起こそう。六年生の私には少々荷が重い。後ろから押してみよう。片方の肩はあがるが片方が布団から離れない。
「昌子、前から両手引っ張ってみい」言われるとおり父のおなかに乗って両手を引っ張った。ウ〜ン、ウ〜ン。地引網でもこんなに重くないって位動かない。
「昌子がおなかの上に乗るけえ動かんそいや、もう少し下がってみい」今度は腰の上にまたがり中腰になって力いっぱい両手を引っ張った。ヒョイ!あっという間に起きれて私はその勢いでくるりと後ろに回転した。「ハハハ、昌子はおもしろいのお」久しぶりに父が大きな声で笑った。なんだかそれがすごくうれしかった。

いつもは兄弟が多いので看病の手は足りていたが、たまにぽっかり誰もいないときもあった。私が学校から帰ると 顔なじみになった借金取りのおっちゃんが父の小水を取ってくれていたりしてびっくり。
「集金に来たら親父さんが、ええとこ来た!よう来た!待っちょった。漏れそう、早よ早よって、お金とらんでおしっこ取るとはどういうこと」
ははは、笑ってごまかせ。


そして、ある日
ウゥ〜。消防車のサイレンがけたたましく大きな音響かせて家の前でとまった。「火事だー!」「きゃー!」あたりは騒然とし悲鳴と罵声が飛び交う。どうやら路地奥の小さな店が火元らしい。ドタバタ消防士がホースもって走っていく。えらいこっちゃ。とにかく大きな父を抱えて逃げよう。下の店にいた姉たちも慌てて上がってきて大慌て。
父の両手両足持てるところを必死でつかみよいっしょっと抱きかかえた。すると父は 今まで見たこともない深刻な顔で
「お前ら逃げなさい。わしゃあ 置いていってくれてええから」と涙目で言う。
ピシャ!姉が平手で思いっきり殴った「何くだらんこと言うんかね!早よ行くよ!せーの!」
で、私たちは重い父を抱えドタバタと階段を降りて外に出た。あれ?消防士がホースをくるくる回して片付けている。どうしたあ?

良く聞くと火事は誤報で煙霧消毒の煙がもうもうとドアの隙間からもれているのを見た隣人が火事と勘違いして通報したという。

ヘナヘナヘナ
張り詰めた緊張感がいっぺんに抜け一安心する。火元と間違われたおばさんは、真っ白の消化液をかぶって全身泡だらけでぺこぺこ。米つきバッタのように謝り倒している。

火事場の馬鹿力とは良く言ったもので が体のでかい父を意図も簡単にさっさと動かせたのに今度は全然力が入らない。ものすごい重量感。やいのやいの言って「ひい〜、もうだめ〜!父ちゃん 太りすぎよ〜」と、口々に文句を言うのに父は「ハハハ、なにがおかしいってあの全身泡だらけのおばちゃんよ!」米つきばった」を思い出してけらけら笑い出した。

私たちもつられて階段に張り付いたまま皆で大笑い。父の目から涙がポロポロこぼれてたけどやっぱり父が笑うとすごくうれしかった。