江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第20回「角島大橋〜上〜」 江本昌子公式ホームページ
江本昌子の
著者:江本昌子
第20回「角島大橋〜上〜」
毎週木曜日更新
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山口県の西沖に角島という名の島が浮かんでいる。牛の角のような形状から角島と呼ばれ渡り鳥たちの楽園でもある天恵の島。
最近では、キムタクが「HERO」というドラマのロケ地として利用されたということで実は非常に有名な場所です。
平成12年に角島大橋が完成されるまでは、船でしか渡ることができず、その美しい大自然はどこまでも手つかずで素朴に存在していた。
わたしが高校を卒業してすぐの夏。(昭和40年代)
店のお客さん四人と姉、わたしの計六人で角島にキャンプに出かけた。と、いっても私達姉妹は店があるので夕方には帰ってしまうのだが、お客さんたちはテントを持っての本格的なもの。台風が近づいてはきているが、まだまだ当分。と、いうことで夜明けと同時にいざ出発。
特牛港(こっといこう)という港から小振りなフェリーに乗り約20分。賑やかに、サザエ、あわびの取り方を教えてもらいながら角島の港に着いた。波止場の目の前に青く茂った小高い山。この山を越えた所にキャンプ場があるという。そこまで歩くの?ダメ。絶対ヤダ。この猛暑の中を歩けというのが無理。
波止場でダダをこねていたら、タクシーがあるというではないか。さっそく呼んでもらった。
ダッダッダッダ
キタ、キタ〜!耕運機。
ん?これに乗るの?目が点。
「どうも〜」って しばらくして合点がいった。この山道の細いデコボコ道を登るにはこれしかないのだ。耕運機の上に山と積まれた荷物が落っこちないように、そして振り落とされないように両手両足をふんばった。額の汗が暑いからなのか、冷や汗なのかわからない。
そうこうしてるうち山の樹木がとぎれ、目の前に大きな青い海と水平線がひらけてきた。角島灯台のキャンプ地である。うっそうと茂った今までの道がうそのように視界が広がり、この半島だけが光り輝いて見えた。真平らな大草原に ポツポツとテントが立ち、その先端にそれ以上いくと落ちちゃうよってところに真っ白な灯台が建っていた。
さっそくテントを張り、男供は海にもぐりに行った。あちこちのテントからラジオが流れ、南沙織の「十七歳」が聞こえてくると、青い空とマッチして、まさに青春していると身体中に感じることができた。素もぐりから帰ってきた連中が「今日の海は台風の前で、潮の上がり下がりがひどくて取るのに一苦労した」と言っていた。それでも取れたてのサザエは別格で、つぼ焼きのプリプリした風味や、刺身のコリコリした食管がたまらない。それにサザエを隠して共存しているという紫ウニ。この小粒なウニを海水でバシャバシャと洗って、口にツルッと含むと磯の香りが口中に広がり、ほっぺが落っこちそう。海の幸をたらふくいただき大満足。
遊ぶ時間はあっという間に過ぎ、私たちは北長門海岸国定公園に属する角島の風土を満喫して最終フェリーに乗り、キャンプ地の彼らと別れた。船中、姉とおしゃべりに熱中していると、船が港に着いたというので慌てて飛び降りた。そして気がついた。特牛港ではなくて、まだ角島の港だったのである。
角島に二つの波止場があるとは知らず、行きも一つ目で降りたのでてっきり本土の港だと思ったのである。
ボ〜。最終フェリーが無情にも「ばかやろぉ〜」と、聞こえる汽笛を残して見る見る小さくなっていく。先ほどから振り出した雨がだんだんひどくなってきた。あたりも暗くなって風も強くなってきた。どうしよう、こんな全然知らない土地に、どうしたらいいんだろう。