江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第21回「角島大橋〜下〜」 江本昌子公式ホームページ
江本昌子の
著者:江本昌子
第21回「角島大橋〜下〜」
毎週木曜日更新
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不安で悲しくて二人でべそをかいていたら
「どうしたんかね?」と、一人のおじさんが声をかけてきてくれた。
事の顛末を説明したところ
「なら、うちに泊まって明日の朝二番の船で帰ればいい」
と、おっしゃる。「地獄で仏」とは、このことか。やれ助かった。さっそく家に案内され、あがってびっくり。台所中、大ごちそうだらけである。船盛りの御造りに、お寿司にからあげ。私たちが目を丸くしていたら、今日は角島祭りということで皆がこの家に集まるという。
つまり漁業組合長をされているこの家に今日はたくさんのお客さんが見えるから、一人二人増えたって構やしない、と、おっしゃる。さすが組合長、ボスと名がつく方は懐が深い。
それにしても、風雨が激しくなって雷まで鳴り響きだした。テレビを見て二度びっくり。台風が進路を変えてものすごい速さで向かってきているではないか。そんなわけで急遽角島祭りは中止となり、台所の大ごちそうは老夫婦と私たち浮浪者の四人でやっつけることになった。
対馬暖流の影響を受けた気候が暖かい人情を作るのか、人当たりの良い、穏やかなお二人に癒され、五右衛門風呂の湯までいただき至福の時を過ごすことができた。
翌朝、私たちは始発のフェリーまで送っていただき、サザエ、あわびのお土産までもらってもう米つきバッタのごとく拝み倒して礼を言い船に乗り込んだ。
「あれっ!お前ら、こんな所で何してんの?」
キャンプ地から、行きに一緒だった四人も同じ船であった。みんな髪はバサバサ、目の下、真っ黒、ゲッソリやせこけている。
「キャンプどうだった?」わたしが聞くと
「どうもこうもないよ。昨夜の台風で雷がピカっと光ると、風で飛ばされないように持っているテントの支柱を恐くてパッと離す。テントがバサッと倒れる。又、必死で立て直し、立てたと思うと、又、ピカッと真っ白になって、また手を離す。ヒィヒィまた立てる。ピカッ!それの繰り返しで一睡もしてない」
と、言う。
はははは、可哀想やら、おかしいやらで笑うしかなかった。
あれから早や35年新しく開通された角島大橋を渡ってみた。多くの人でにぎわっていた特牛港には人影もなく、船乗り場の建物も崩され無くなっていた。20分かかった道のりも車では5分とかからず、あっという間に島へ一跨ぎ。海の色は、明るいマリンブルーで昔とちっとも変わらないというのに、角島タクシーは姿を消し、キャンプ場は観光バスが停まる名所と」なっていた。明治初期に造られた角島灯台もお色直ししてきれいになり、記念館やギャラリーが設けられ、もうテントを張ることもできなくなっていた。
お世話になった漁業港の波止場へも、整備された道路ですぐにいくことができた。
確か、この家だったっけ?と、うる覚えの家の前に立ってはみたけれども、長の無礼が心苦しく、戸をたたくことはできなかった。
夏のせみがジイジイと暑苦しく鳴く声を聞いて、私の青春の一ページも何か色あせたようなそんな気がした。