江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第43回「ステーキ」 江本昌子公式ホームページ

江本昌子の

著者:江本昌子

第43回「ステーキ」

毎週木曜日更新

作者へのお便りをお待ちしてます。

        ↓

昭和50年代、私たち兄弟の郊外に出したレストランの近くに精神科の病院があった。現在は大きな総合病院になっているがその当時は精神科だけだった。

土曜、日曜ともなるとここの患者さんが家族のもとへ外泊されるのであろう、よく食事に来られていた。テーブルに座ったとたん
「ステーキ、ステーキ嬉しいなな、ステーキよぉ!ね?ね?」と、かわいい女の子が顔を紅潮して口早に言う。
「それじゃあ、ステーキランチ4つ」と、オーダーされ、ナイフ、フォークをセットしているとその子はそれをパッと取り上げテーブルをドンドン叩いて
「ステーキ。早く〜。ステーキ。早く〜」と、大きな声をあげている。昼時の満席のお客さんの目を気にしたのか、父親がその子の腕をひっぱり外へ連れ出した。
しばらくして戻ってくると、今度は頭をもたげて意気消沈。一言もしゃべらない。ステーキを出しても手をつけない。家族は急いで食べ終えさっさとレジに立たれた。
「すいません、お騒がせして、、、、」
と、小さな声ですまなそうに謝られる。
「いいえ、そんな事ありませんよ。それよりステーキ持って帰ってくださいな、器はいつでもよろしいですから」というが
「いいです」と、遠慮されるその家族に無理を言って持って帰ってもらった。

それでなくてもうちの職人チーフは料理が残るとやかましい人で、私たちのマナーが悪いからと反対にしかられるほど、絶対の自信を持ってる人。こっちのほうが恐い。それに月収5万円の時代に5千円のステーキである。もったいない。是非ともあれだけ熱望していた女の子に食べてもらいたかった。

ここの病院長はうちのお得意さんで、よく出前を取ってもらっていた。病院の裏にある院長宅は運動場を横切ったつきあたりにあって、よく患者さんが体操をしていた。いつものように出前用の鼻のない車で、料理がひっくり返らないようにノロノロ走らせていると、突然、目の前にガバッ!と患者さんが現れ「バァ〜!」と通せんぼ。両手を大きく広げて楽しくて仕方がない、という顔をしている。
「ごめんね〜、ちょっと通して〜」と、窓を開けてお願いしていると、なんだ、なんだと、又2,3人走ってきて、目の前で「バァ〜!」
、、、、、本当、ここの出前は関所が多くて時間がかかった。

ステーキの器を返しに来られた一家は、その後もよく来られるようになり、女の子も目に見えて回復して無事、通院の運びとなった。
「私たち、今まで娘に恐いものに触るように恐る恐る接していたのですが、皆様がなんでもないように普通に相手をしてくれて、考えさせられました。心を開いていないのは私たちの方だったということに。本当にありがとうございました」と、言われた。
いえいえ、私達別に特別な事してないし。心の病はデリケート。どんな薬より家族の愛情が一番の薬だと思う。一家がこれでひとつになられてよかったと、心から思えた。

彼女が少し気分が高ぶった時、店中走り回してグラスを割った事も、私にガバッと抱きついてきてエプロンにオムライスのケチャップをべっとり付けやがったことも、すべて許したる。
退院おめでとう。よかったね。

no alt string
no alt string
no alt string
nw&r TOP
江本昌子 TOP
人間味溢れる思い出話
Sale
宝飾品・ブランド品他