江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第53回「宝塚パート1」 江本昌子公式ホームページ
江本昌子の
著者:江本昌子
第53回「宝塚パート1」
毎週木曜日更新
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宝塚歌劇を初めて見たのは21才の時、当時阪急沿線に住んでいた2女の三千子姉に誘われその美しい世界にどっぷりはまった。それまでは梅田方面に出かけては大阪の街を楽しんでいたが その日は反対方向の宝塚へ行った。
のどかな温泉地宝塚はほっこりした田舎ーって感じで あの派手な舞台化粧と不釣り合いな場違いな気がした。駅からくねくねと曲がる細い道の両側に土産物屋さんが続き炭酸煎餅の缶がどの店にも並んでいた。動物園 遊園地 大浴場 川にはボートまで浮かんで子供から大人まで楽しめる なかでも大劇場は一種独特な雰囲気でポワーンと夢心地な世界、ピンクのフリフリオベベがわんさか居る。
私がフリフリ着たらどう見ても天草四郎にしか見えんけど。
昭和49年はまだベルバラブームの前で大劇場の席にも余裕があり結構良い席で見ることが出来た。非日常的な豪華絢爛な夢の世界にいっぺんで虜になり今にいたっている。日頃のどうしようもない嫁姑問題も 豚バラにしようかミンチにしようか迷うことも 安いパンツのゴムが切れてスースーすることも すべて忘れて幸せな気持ちになれる。宿泊無しの深夜バス往復 食事はファーストフードのハンバーガー座席も安い二階席と贅沢は出来なくても気持ちは贅沢になれて心地良い。
不思議な話しがひとつある。平成11年1月娘と3人で宝塚を見に行くため深夜バスの予約を早くに済ませ予定日の3日前に切符を取りに行ったところ向こうのミスで一人分しか取ってなくてあとの二人はすでに満席で乗ることが出来ないと言う
もぅ〜折角早くに予約したのにぃ!!と散々文句を言いその切符もキャンセルして宝塚行きを諦めた 楽しみにしていた旅行がパーになりしょげていたところ阪神淡路大震災が起きテレビに崩れた高速道に危うく止まっているバスが映り出された。‘ゾーッ‘身震いした私達が行こうとしていた日なのである。乗車券が1枚しか取れてなくて私達が宝塚行きを諦めたのは ひょっとしたら天国の父と母の仕業だったのではないかと一瞬思った。世の中には方程式で解けないことってあるものだとつくづく実感した。