江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第56回「春子叔母」 江本昌子公式ホームページ
江本昌子の
著者:江本昌子
第56回「春子叔母」
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100才になる母の姉、春子叔母が9月の敬老月間の市長表敬訪問に選らばれ 祝い状と記念品をいただいた。市内に100才以上のお年寄りが95人いらっしゃる中で、入院してなくて自宅に居る老人、痴呆ぎみでない老人、元気なお年寄りという事で叔母に決まったようである。
7月末 市から連絡が入り その日は新聞社が取材に来るから親戚の人も集まって下さいってようと日頃往来のある三千子姉が言う。
「あっそ、私は行かん」と ひとつ返事。
だって 穏やかな人生を送る叔母からみれば山あり谷ありの私の生き様は許せないのか やたら風あたり強いんだもん。
「 ここはひとつ、一人ぼっちの独居老人の力強さを映した方が絵になるんでないかい」と取りあわなかった。
叔母はすこぶる元気で少し前まで買い物にも出かけていた。スーパーの肉屋さんの前で順番待ちしている沢山の人の中に手押しカートをゴリゴリ突っ込み「95ですから」と連呼し人を押しのけちゃうという事を平気でする意地悪婆さん。
昔 食料品店を繁やらせていた頃 自転車にやっとこさ乗れるようになった小学生の私に豆腐の配達を言う。当時絹ごし豆腐は四角い缶カンの中に水を張って入れてあり これが重いのと水が動くのとで案のじょうひっくり返してベソをかいて帰った。すると叔母は私の心配より豆腐の心配が先でもう子供心ズタズタ。それ以来無理な手伝いは言わなくなったが姉達はこき使われていたようだ。たまに姉が高価な味の素とかをこっそり家に持ち帰ってきて「父ちゃん戦り品」と差し出すと 「でかした!」と泥棒の父は喜び「次は刺身醤油を」 と リクエスト。
8月に入り話しを聞きつけた心優しきまい子姉が兄弟全員が揃うよう白寿の祝いの席を設けてくれた。近場の海老料理専門の割烹旅館で祝杯をあげた。兄弟とその家族20人。でも主役の叔母は不在。2日前に急遽入院しちゃた。市長さんが来られるというので張りきって掃除しすぎちゃって熱中症だって。ドタバタしたけれども市長訪問は無事自宅で歓迎することが出来た。
明治 大正 昭和 平成と4つの時代を生き今なお元気に過ごしてくれている叔母の口癖は「あんたはんとこのお母ちゃんに命もろうて妹の分まで長生きさせてもろうてる」とホロッとさせ「せやから昌子もしっかり真面目にしなさい!」と声をひっくり返して大声をはる。「本当ねぇ美人薄命って言うもんねぇ母は早くに亡くなったけど そうなると叔母ちゃんは絶対長生きやねぇ」と つい毒を吐いてしまう。優等生の姉達の前では健気な穏やかな叔母で丸くなった背中もかわいいものだが私を見つけるとシャキィ〜ンと背を伸ばしツバを飛ばして毒舌大会となる。きっと私は叔母のカンフル剤やね。必要悪って事かな?ま いいや 叔母がヘナヘナと元気が無くなったら目の前をウロチョロしてあげるからね。
敬老月間のイベントも無事終わり叔母の家を出ようとした時 月が変わっているのにカレンダーが前の月のままだったのでベリベリとはいだ。よく見ると赤いボールペンの字で何か書いてある。皆で白寿の祝いをした日だ。日にちに二重丸がしてあり、そこにはミミズがはったようなヨレヨレの100才の字で小さく「えび」と書かれてあった。