江本昌子の「ぶちおきゃん!マチャコの思い出話」 第69回「花の高校生」 江本昌子公式ホームページ
江本昌子の
著者:江本昌子
第69回「花の高校生」
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高校時代はあっという間の3年間だった。私立のマンモス女子高。勉学中心の進学校と違い授業も中学のおさらい程度で高いレベルを追求するような内容ではなかった。ただ商業高校なので簿記、そろばんの資格は主要な絶対条件。私は1年の時に取得した。長女は進学校に行ったが あとの姉達は皆この学校卒、先生方も覚えてらして「姉さんは元気か?」と聞かれ「はい」と返事はするが首席で卒業した明子姉と停学ばかりのやくざな茶里姉がいる「あの姉さんはとびきりよう出来ちょった」と言われると胸をはれるが「ありゃあ悪うてのぉ何回成人映画で捕まえたことか」と言われるとハハーと言うしかない。
男子生徒がいないというのは刺激のないもので数人の異性問題で停学する生徒以外は皆ひたすら食べまくるだけのマンモス豚生活。新任の男性教師には皆 目をギンギンに輝かせ授業はちっとも聞いてないのに今日の靴下の色は素敵だったとかタイピンが違ってたとか その辺の観察力だけはすんごいの。
入学早々にあったクラスマッチのバレーで回転レシーブが見事に決まった、その日にバレー部に引 っぱられ入部した。くる日もくる日も球拾いと先輩の運動着の洗濯、朝早くから晩遅くまでしごかれ肉体的にも精神的にもたくましくなった。他県の強豪チームとの練習試合にも行った、丁度実力テストの日で3教科のうち2教科だけ受け あとの1教科はバレー部は免除で電車に乗った。
そののち成績100番までが廊下に張り出され私の名前がそこにあったのを見て どうよ この学校アホばっかりかい!とふが抜けた。道理で入学成績順に学級委員が決まっていて級長を命じられた訳だ あん時 後ろで立ってた父兄代理の満伊子姉が断われと背中をつつくので速攻断わったわよホッ
2学期に入り文化祭に出ることになった、お琴の免状を持ってる生徒は出なくてはならないという学校サイドの絶対命令、私はバレー部を一時休部ということになった。やれやれと思ったのも束の間こんどはテーピングだらけの太くなった指にお琴の爪が入らない、ありゃま。いかんいかんこれではいけないとバレー部の先生に退部を申し出た「皆黙って辞めていくのに言うてきたのはお前ぐらい」と変にほめられ届けを受理してもらった。
文化祭 当日 舞台の裏方は運動部のお仕事。バレー部の特に私を可愛がってもらった というか鍛えてくれた ていうか厳しかった先輩が「江本のお琴はこれか」とおもむろにタオルを出しシュッシュッとピカピカに磨かれた。お琴のジがぶれないかヒヤヒヤしちゃったけど何だかとても嬉しかった。
3年は自動車コース。他の学部と違ってやたら調理実習が多い、初めのうちこそ本気で作っていたが 段々飽きてきてくる、先生もいらっしゃらない事が多く そんな時は提出する書類にデタラメなソースの何とか風と、さも難しそうな料理名を書きカップラーメンに湯をそそぐだけ、3分間待つのだよ。これじゃあ あっという間に3年過ぎちゃうわな。ジャンジャン!